第922回例会以降の記録はこちら 

     (令和元年11月19日より)



子規上京の手筈から生活・勉学への支援など、拓川の子規へのまなざしの篤さを詳しい年譜を通し解説された。また、海外での活躍の考察と意義を説かれた。
子規上京の手筈から生活・勉学への支援など、拓川の子規へのまなざしの篤さを詳しい年譜を通し解説された。また、海外での活躍の考察と意義を説かれた。
会場の様子 写真はいずれも越智和彦氏
会場の様子 写真はいずれも越智和彦氏
この頁 令和四年十一月例会 於:正宗寺 で終了し新しい頁へ移行します
来年開催される加藤拓川展のポスターです。みなさまのご協力をお願いいたします。今日のお話をお聞きし展示される作品や手紙など楽しみです。


令和4年10月例会(第956回)

日時 令和4年10月19日(水)午後1時30分~3時30分

場所 正宗寺本堂(松山市末広町16-3)

 

卓話 「外国人英語教師の見た明治25年の松山」 本会常任理事 田村 七重

卓話 「俳文について」             本会相談役  今村  威

明治25年(1892)8月、米国アラバマ州生まれのヘンリー・ガブリエル・ホーキンス牧師は26歳で来日。松山の公立中学校で英語教師となり教鞭をとった。この年、子規は松山に帰省し8月26日に漱石と共に東京へ戻っている。ホーキンス牧師は明治27年(1894)4月に離日しているが、その7年後に日本での見聞を『日本で過ごした20ヶ月』という小冊子にまとめて刊行している。それの翻訳本作成の作業に関わったことなどを踏まえて紹介した。

 『日本国語大辞典』によると俳文とは「俳人の書いたもので、俳諧的な要素をそなえている文章」とある。俳文についての解釈は今までいろいろと考えられているが、子規が写生俳句を提唱してから、俳人が書いた文章でも、ことさらに「俳文」と呼ばなくてもいい気がする。「愛媛新聞」の若い世代の俳壇「青嵐」の作品からの予測として、写生を深めた象徴句、比喩句などをみると、新しいスタイルの俳文が生まれる可能性がある。

 

 

※写真はいずれも越智和彦本会常任理事撮影。


松山子規会・第121回子規忌法要並びに同会物故会員法要


多くの皆様に参加をいただきたかったのですが、コロナ禍の中であることを考慮し、出席者を限定しての開催となりました。今回は台風14号の影響を受けて天候が思わしくなく、墓前祭での法要は取りやめて本堂法要だけ行ないました。ここに法要の様子を紹介いたします。

 

日時:平成4年(2022)9月19日(月・祝日)午後1時30分~2時20分

場所:天龍山別格正宗寺(松山市末広町16-3)

主催:松山子規会

協力:天龍山別格正宗寺

<式次第>

■本堂法要開会

◇開会挨拶     松山子規会会長 烏谷 照雄

◇正岡家挨拶 松山子規会コモン正岡 明様(代読 松山子規会副会長 渡部 平人)

◇来賓挨拶 

 ・参議院議員 永江 孝子様

 ・愛媛新聞社社長 土居 英雄様

◇メッセージ朗読

 ・愛媛県知事    中村 時広様(代読・松山子規会事務局長 佐伯 健)

 ・松山市長     野志 克仁様(代読・同上)

 ・正岡家縁のご親族 藤野  満様(代読・同上)

 ・伊予銀行頭取   三好 賢治様(代読・同広報CSR室長 赤塚 昌弘様)

 ・愛媛銀行頭取   西川 義教様(代読・同秘書室長 青野 剛史様)

◇子規作・漢詩吟詠 松山子規会会員 塚本 健吾

 「聞子規(ほとぎすをきく) 余作詩以為始」 (明治11年、正岡子規作)

◇松山子規会会員創作の漢詩・俳句・短歌・散文 献詠披講

 漢詩・・・・・・・松山子規会常任理事 嶌川 武彦・松浦 巻夫

 俳句、短歌ほか・・松山子規会事務局長 福井みどり

◇物故会員紹介・・・同会常任理事    高木 貞雄

◇法要・読経・・・・天龍山正宗寺住職  田中 義雲様

◇焼香 ・正岡家ご親族 平松 恒俊様

    ・ご来賓 永江 孝子様、土居 英雄様ほか

    ・松山子規会会長並びに同役員

◇閉会挨拶  松山子規会副会長 三好 恭治

  (司会:松山子規会常任理事 豊田 渉) 

 

本堂法要の様子

祭壇の子規肖像と糸瓜

 

 

 

 

  ※写真は本会越智和彦常任理事


第954回例会報告

  日時:令和4年8月19日(金)午後1時30分~3時30分

 場所愛媛新聞愛媛電算(CATV)ビル4F会議室

 卓話:「松山東雲女子大学・短期大学共通講座

     『正岡子規と伊予の文化』を終えて」  

            本会事務局長  福井みどり氏

  講演: 「絵を描く子規・神人と遊ぶ

            本会会長    烏谷照雄氏

                                ※以下の写真 越智和彦常任理事




第953回例会報告

日時 令和4年7月19日(火)午後1時半~3時半

場所 愛媛新聞社1階ホール(松山市大手町)

  卓話 「粟井坂新道碑」 本会会員 近藤元規氏

  講演 「中掘貞五郎 生い立ちと松山時代」 中堀貞五郎ご令孫 中堀一郎氏

                    

                           ※以下の写真 越智和彦常任理事

卓話:近藤元規氏

 

松山市北条粟井坂の大師堂に新道落成の記念碑があります。江戸時代までは険しい粟井坂峠の山道を使っていましたが、明治13年(1880)に4ヶ月の工期で新道が作られました。新道開通までの事を記した記念碑は近藤氏の祖父元脩氏が撰文したものです。それらのことをふまえての興味深いお話でした。

講演:中堀一郎氏

 

中堀貞五郎は小説『坊っちゃん』の中の「うらなり」のモデルとされています。また、正岡子規の妹の律と結婚されています。その貞五郎の孫にあたる一郎氏が豊富な資料をもとに、中堀家のご先祖のことから貞五郎の一生を紹介していただきました。


952回例会開催しました

日時:令和4年6月19日(日)午後1時30分~3時30分

場所:正宗寺本堂 松山市末広町十六―三 

 卓話:「子規と若者たち」

      前松山東雲女子大学学長  塩崎千枝子氏

  講演:    「藤野古白と親族について」

             藤野家親族  藤野 満氏

 


写真:越智和彦常任理事
塩崎千枝子氏は、東雲女子大学・短期大学の教養講座の一つとして子規を取り上げた経緯を説明後、その意義と効果について話された。専門教科を主に履修するだけではなく、郷土の偉人正岡子規を学ぶことは学生たちにとって様々な点で人間性を育て、より深い学びへのきっかけともなっていると話された。  また、現在の小中高の国語教育の中で、短詩系文学がどのように教えられているのかについて、それぞれの教科書を示しつつ述べられた。

 「藤野古白とその親族」と題して、様々な資料や貴重な写真などを見せながら、丁寧、かつご親族ならではの考察を話された。古白の自殺に関して詳しい考察に加え、子規との深い関係も述べられた。また、かかわりのあった安倍能成などのエピソードも交え紹介された。子規の妹律の最初の夫となる人とも繋がりがあるなど、興味深い講演であった。
 「藤野古白とその親族」と題して、様々な資料や貴重な写真などを見せながら、丁寧、かつご親族ならではの考察を話された。古白の自殺に関して詳しい考察に加え、子規との深い関係も述べられた。また、かかわりのあった安倍能成などのエピソードも交え紹介された。子規の妹律の最初の夫となる人とも繋がりがあるなど、興味深い講演であった。

第951回例会開催

日時 令和4年5月19日(木)

場所 正宗寺本堂(松山市末広町16ー3)

卓話 「愚陀仏庵と母屋 ~愚陀仏庵に塀はなかった~」  本会相談役 平岡 英 氏

講演 「松山時代の漱石 ーその心象の変化を考察するー」 本会事務局長 佐伯 健 氏 

明治28年4月、松山中学に赴任した夏目金之助(漱石)は7月に愚陀仏庵に移り、子規との生活を始める。その愚陀仏庵に塀のある写真が使われているが、子規と漱石が住んでいたころにはなかった。その辺りを考察し発表された。

平岡英氏の卓話のあと、本会事務局長の佐伯健氏が、松山時代の漱石の心象の変化を多くの資料を示して発表され、文豪夏目漱石の誕生には松山と松山人が欠かせない存在であることは明らかであると締めくくった。

※写真は、いずれも本会常任理事越智和彦氏撮影。


令和4年総会並びに950回例会開催

  日時:令和4年4月19日(火)午後1時30分~

   場所:愛媛新聞社1階ホール  松山市大手町1-12-1

   講演:「子規の写生観と看図作文

             四條畷大学副学長 工藤真由美氏

      子規会誌174号が配布されました。🌸🌸

令和四年度総会に臨み方針や抱負を語る烏谷会長
令和四年度総会に臨み方針や抱負を語る烏谷会長
ご来賓を代表して野本政孝賛助会員よりご挨拶をいただきました。
ご来賓を代表して野本政孝賛助会員よりご挨拶をいただきました。
令和4年度総会の様子           写真はいづれも越智和彦常任理事
令和4年度総会の様子           写真はいづれも越智和彦常任理事
総会後、第950回例会が開かれ「子規の写生観と看図作文」と題し、四條畷大学副学長工藤真由美先生にご講演いただきました。
総会後、第950回例会が開かれ「子規の写生観と看図作文」と題し、四條畷大学副学長工藤真由美先生にご講演いただきました。


第947回 新年・例会

コロナ禍の中、人数を制限させていただき内容も縮小という形で開催をいたしました。その報告をさせていただきます。

と き  令和4年(2022)1月19日(水)13時30分~15時

ところ  東京第一ホテル松山11階スカイブリリアン(松山市南堀端町)

 

 渡部平人副会長・事務局長が司会進行をいたしました。

●年頭あいさつ  烏谷照雄会長

●松山子規会顧問・海外からのメッセージ ※田村七重常任理事が代読

 愛媛県知事   中村時広様

 松山市長    野志克仁様

 正岡家     正岡 明様

 ボストン大学  キース・ウ‘ィンセント様

 オスロ大学   オースダット・安倍玲子様

●会員あいさつ

 

 参加会員から本田精志(松山市議会議員)、赤松昌弘(伊予銀行広報CSR室長)、神山充雅(愛媛CATV相談役)の3氏が代表あいさつ挨拶を行い、その後他の参加者の紹介をしました。そして、欠席者からいただいたメッセージを豊田渉常任理事が代読をしました。

●卓話 「子規と一遍とホトトギス」三好恭治副会長

 子規、一遍の詠んだ俳句や歌などをわかりやすく紹介いただきました。子規会もコロナ禍の中ではあるものの、希望をもって生きようと締めくくりました。

 

 


写真説明(左上から右へ、そして下段へ) 撮影:越智和彦常任理事

●烏谷会長 ●本田精志(きよし)氏 ●赤塚昌弘氏 ●神山充雅氏 ●三好恭治副会長卓話 ●会場風景



946回 <12月例会>日時:令和3年12月19日(日)午後1時30分~

 場所愛媛新聞 愛媛電算(CATV)ビル4階会議室 

  卓話:「子規と村上家と大友柳太朗」

        本会常任理事  豊田  渉氏

 講演:「子規の足し算、引き算」

                松山兎月庵庵主 小椋浩介氏

大友柳太郎の出自と俳句に親しむことになった経緯を話された。その中には八原家や中富家(柳太郎)との関係を系図を示して詳しい説明があった。     また、柳太郎の短歌・俳句の紹介があり興味深い卓話であった。  (田村記)  写真:越智常任理事
大友柳太郎の出自と俳句に親しむことになった経緯を話された。その中には八原家や中富家(柳太郎)との関係を系図を示して詳しい説明があった。     また、柳太郎の短歌・俳句の紹介があり興味深い卓話であった。  (田村記)  写真:越智常任理事
子規の文字について、その漢字の選び方・字体・筆使い・筆勢などを詳しく資料を見せながら解説された。その中で読み取れる子規の心理学的分析を紹介し、子規のプライドとしての平常心、客観的な冷静さ等についてご教示いただいた。 長々と書かずとも発句だけで充分だという子規の考え、つまり575で確実に伝わるという子規の引き算的思考にも言及された。   (田村記)  写真:越智常任理事
子規の文字について、その漢字の選び方・字体・筆使い・筆勢などを詳しく資料を見せながら解説された。その中で読み取れる子規の心理学的分析を紹介し、子規のプライドとしての平常心、客観的な冷静さ等についてご教示いただいた。 長々と書かずとも発句だけで充分だという子規の考え、つまり575で確実に伝わるという子規の引き算的思考にも言及された。   (田村記)  写真:越智常任理事

令和3年 11月例会 第945回

日時 令和3年11月19日(金)13時30分~15時30分

場所 正宗寺(松山市末広町16-3)

卓話 「子規とキリスト教」   本会常任理事 高木 貞雄

講演 「中村草田男と石田波郷」 本会相談役  平岡  英

卓話「子規とキリスト教」

  本会常任理事 高木 貞雄

 

子規がキリスト教に対して直接的な関係の有無の確認は出来ていないが、明治10年(1877)前後の松山市に派遣されていたキリスト教宣教師の報告書などや子規の松山中学校と上京前後の松山の様子や友人の動向が、後に子規が大学の哲学科に進む動機の解明の一助にという思いを紹介しました。 

講演「中村草田男と石田波郷」

 本会相談役 平岡  英

 

いずれも松山出身の二人の生年には12歳の差があるが、同じ頃に句作を始め、活躍する時代を共にするようになる。俳句とメルヘンなど草田男は多彩に生きたが、波郷は俳句一筋の道を歩んだ。二人は昭和の俳句の歴史にそれぞれの形で特徴のある足跡を残したといえる。

        ※写真はいずれも、本会越智和彦常任理事

 

 


令和3年 10月例会 第944回

日時 令和3年10月19日(金)13時30分~15時30分

場所 正宗寺(松山市末広町16-3)

卓話 ①「松山東雲女子大学・同短期大学講座を終えて」 常任理事 福井 みどり

   ②「正岡子規の生き方を通して感じたこと・考えたこと」       

                 松山東雲女子大学人文学科3年 本宮 亜美氏

卓話 「子規山脈と宮本常一」            子規会会員 浜田 久男氏


 この機に、子規会例会の会場としてもご支援いただいている天龍山別格正宗寺住職の田中義雲師 並びに、

子規忌には欠かさず糸瓜などをお供えいただいている会員の浅見好美氏に、烏谷会長より感謝状が手渡された。 

             写真はいずれも越智和彦常任理事
             写真はいずれも越智和彦常任理事


松山子規会・第120回子規忌法要並びに同会物故会員法要


 多くの皆様に参加をいただきたかったのですが、コロナ禍の中であることに鑑み、出席者を限定しての開催となりました。ここに法要の様子を紹介させていただきます。

 

日時:令和3年(2021)9月19日(日)午後1時20分~2時30分

場所:天龍山別格正宗寺(松山市末広町16ー3)

主催:松山子規会

協力:天龍山別格正宗寺

<式次第> 

一、墓前祭(正宗寺「子規埋髪塔」前

 ◇読経                正宗寺住職 田中 義雲様

 ◇会員献詠披講         松山子規会常任理事 福井みどり

 

二、本堂法要

 ◇開会挨拶           松山子規会会長 烏谷 照雄

 ◇正岡家挨拶 松山子規会顧問・正岡 明様 (代読・松山子規会副会長 渡部 平人)

 ◇来賓挨拶 

  ・生活協同組合コープえひめ(松山子規会賛助会員) 理事長 美濃 欽也様

 ◇メッセージ朗読

  ・愛媛県知事    中村 時広様(代読・松山子規会副会長 渡部 平人)

  ・松山市市長    野志 克仁様(代読・同上)

  ・正岡家縁のご親族 藤野 満様(代読・同上)

  ・伊予銀行頭取   三好 賢治様(代読・同銀行広報CSR室長 赤松 昌弘様)

  ・愛媛銀行頭取   西川 義教様(代読・同銀行秘書室長 青野 剛史様)

 ◇子規遺作短歌吟詠 松山子規会会員、愛媛県吟詠剣詩舞総連本部師範 井上 満雄様

  「足なへの病いゆてふ伊豫の湯に飛びても行かな鷺にあらませば」(明治31年)ほか2首

 ◇会員献詠披講  漢詩・・・・・・・松山子規会常任理事 嶌川 武彦・松浦 巻夫

          俳句、短歌ほか・・同上 福井みどり

 ◇法要読経

 ◇物故会員紹介

 ◇焼香 ・正岡家ご親族 平松 恒俊様

     ・ご来賓 美濃欽也様、三好賢治様、西川義教様ほかの方々

     ・松山子規会会長並びに同役員

 ◇閉会挨拶      松山子規会副会長 三好 恭治 

                          (進行:松山子規会常任理事 豊田 渉)

 

墓前祭

 

「子規埋髪塔」の前で正宗寺田中義雲住職による読経、会員の献詠披講が行われました。

子規埋髪塔

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

本堂法要の様子           

                        ※写真はいずれも越智和彦常任理事   


令和3年 7月例会 第941回

日時:令和3年7月19日(水)午後1時30分~

 場所:愛媛新聞1階ホール  松山市大手町1-12-1

    卓話:「子規の書簡について」 

       坂の上の雲ミュージアム学芸員  上田一樹氏

    講演:「子規と紀貫之ー古今集の成立と評価」

       歴史文化博物館学芸員      大本隆久氏 

  参加者 31名(会員28名 ゲスト3名)


上田氏卓話「子規の書簡に ついて」                     写真:越智常任理事
上田氏卓話「子規の書簡に ついて」                     写真:越智常任理事

 子規の書簡の中で、『子規全集』に収録がない菊池寿人への手紙について、

寿人の人物像や子規との関わり合いに関する詳細な調査を踏まえ説明し、

歌稿「夢の浮橋」についての考察の紹介もされました。(田村記)


大本氏講演「子規と紀貫之」ー古今集の成立と評価ー    写真:越智常任理事
大本氏講演「子規と紀貫之」ー古今集の成立と評価ー    写真:越智常任理事

 子規の古今和歌集しいては紀貫之の評価について、子規の『歌よみに与ふる書』

から紐解き精査された研究を示されました。『歌よみに与ふる書』を読み解くにあたり、

子規の記述の裏付けを事細かに検証され、御御所派歌壇・万葉集・源実朝などへの子規の

評価も解説され、提示いただいた資料を、わかりやすく説明していただきました。(田村記) 


この度子規会に銅版画の子規の横顔をご寄贈賜りました中西俊佳先生にご登壇いただきその製作過程や芸術論をお話しいただきました。先生はお若いころ子規と同じ病で長い療養生活を余儀なくされ、その中で根気のいるメゾチント手法で子規像を製作されました。田村記   (本日の写真は三枚ともアクリル板を使用していたため鮮明さに欠けます。)
この度子規会に銅版画の子規の横顔をご寄贈賜りました中西俊佳先生にご登壇いただきその製作過程や芸術論をお話しいただきました。先生はお若いころ子規と同じ病で長い療養生活を余儀なくされ、その中で根気のいるメゾチント手法で子規像を製作されました。田村記   (本日の写真は三枚ともアクリル板を使用していたため鮮明さに欠けます。)


令和3年6月例会:第940回


●子規の見た「浅草木製の富士」

佐伯健本会常任理事の卓話

 

明治20年(1887)1月6日、東京浅草公園六区に「冨士山縦覧場」(「木製の富士」)が開業しました。開業6日後の12日に子規は大谷是空と浅草を訪れています。子規らがこの木製の富士に入場したのかどうかは記録にないので定かではありませんが、いかなるものであったかについて発表しました。この「浅草木製の富士」は、子規が明治21年(1888)に書き上げた『七草集』の漢詩・俳句・短歌に詠まれています。この木製富士は明治22年暴風雨によって大破。翌年には12階建(52m)の高層建築「凌雲閣」が跡地に建設されましたが、大正12年(1923)9月1日の関東大震災で被災して取り壊されました。(豊田記) 写真:越智和彦常任理事


●子規と歌人・玉城徹について

 泉 寔(まこと)本会会員の講演

 

玉城徹(1931~98)は昭和~平成期の歌人で宮城県生まれ。子規との直接のかかわりは無いようですが、玉城は『子規ーー活動する精神』を著しています。子規は今も私たちと共にあり、光芒を発し続ける子規を現代的な視点で多角的に光をあてたことなどの紹介がありました。(豊田記)写真:越智和彦常任理事


令和3年3月例会(第938回)

日時 令和3年3月19日(金)13時30分~15時30分

場所 正宗寺(松山市末広町16-3)

卓話 子規の伊藤松宇 富士百句評について   常任理事 田村七重

講演 村上霽月と子規・漱石            理事 二神 将


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

正岡子規が伊藤松宇(長野県出身の俳人)の詠んだ富士(山)の百句を批評したことを紹介しました。伊藤は明治25年(1892)子規宛に手紙を送り富士百句の批評を求めたことにより親交が始まり、子規は松宇らによる椎の友社の句会に参加するようになったといいます。(豊田記)

(写真:越智和彦常任理事)

 

 

 


松山市西垣生出身の村上霽月(せいげつ)は俳人・実業家。霽月が子規、夏目漱石との書簡のやり取りや交遊を通してのお話でした。(豊田記)

 

※写真は越智和彦常任理事


松山子規会・令和3年新年例会が開かれました。以下にその紹介をいたします。

松山子規会 令和3年新年例会  

 

日時 令和3年2月12日(金)13時30分から15時30分

      ※当日は旧暦の元日でした。

場所 東京第一ホテル松山 11階スカイブリリアン (松山市南堀端町)

 

式次第

1 漢詩献詠  「春日還家」正岡子規作    嶌川 武彦  常任理事

2 年頭挨拶                 烏谷 照雄  会長

3 卓話    「子規の牛の歌」       今村  威  相談役 

4 夢想神伝流居合演武            森  慎吾  理事

5 三味線と尺八演奏

        「さのさ」      三味線 福井みどり  常任理事

        「伊予節」      尺八  長谷川象山  賛助会員

                   三味線 福井みどり  常任理事 

        「鶴の巣ごもり」   尺八  長谷川象山  賛助会員 

   --ーー 休憩 ---

6 本会顧問の新年メッセージの紹介

    松山市長         野志 克仁 様

    正岡子規研究所主宰    正岡  明 様

7 来賓の新年メッセージ

    愛媛CATV会長     神山 充雅 様

    伊予銀行広報CSR室長  赤塚 昌弘 様

    愛媛銀行秘書室長     青野 剛史 様

    前松山東雲大学学長    塩崎千枝子 様

8 会員の新年メッセージ           

9 閉会挨拶                 三好 恭次  副会長

       司会 高木貞雄 常任理事

 


烏谷会長の年頭挨拶

明治34年の新年に寒川鼠骨から地球儀を岡麓から竹籠に植えられた「春の七草」の二つのお年玉が届いたことを紹介。 写真:越智和彦


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今村威相談役の卓話「子規の牛の歌」 令和3年は辛丑(かのと・うし)にあたり、それにちなんで子規が「牛」を詠んだ短歌を紹介。 写真:佐伯健


森慎吾理事による居合(夢想神伝流)演武の披露。 写真:越智和彦

尺八は長谷川象山賛助会員、三味線は福井みどり常任理事による演奏

「伊予節」は共演され、新年に相応しいひと時でした。写真:佐伯健


令和二年十二月例会(第935例会)

  令和二年十二月十九日(土)午後1時半~3時  愛媛CATV電算ビル4階会議室

卓話  漱石と鉄道と子規」 越智和彦氏 本会常任理事

講演  内藤鳴雪の初期俳句―子規選句稿『なじみ集』を素材にー」

                   平岡瑛二学芸員  松山市立子規記念博物館 


牧村健一郎著『漱石と鉄道』漱石文学に鉄道が多く登場し、漱石も 鉄道旅を多くしたと紹介。子規と漱石の関係性を鉄道を素材に考察し、子規の汽車俳句も紹介した。    写真:田村七重
牧村健一郎著『漱石と鉄道』漱石文学に鉄道が多く登場し、漱石も 鉄道旅を多くしたと紹介。子規と漱石の関係性を鉄道を素材に考察し、子規の汽車俳句も紹介した。   写真:田村七重
鳴雪の『なじみ集』に採録されている初期俳句565句を手掛かりに、鳴雪俳句 の作風の変遷や特質を俳句活動を検証しつつ考察した。年上の子規の門人鳴雪の 俳句集・自叙伝や書簡も踏まえ『なじみ集』の資料としての有用性を説いた。   写真:豊田渉
鳴雪の『なじみ集』に採録されている初期俳句565句を手掛かりに、鳴雪俳句 の作風の変遷や特質を俳句活動を検証しつつ考察した。年上の子規の門人鳴雪の 俳句集・自叙伝や書簡も踏まえ『なじみ集』の資料としての有用性を説いた。   写真:豊田渉

 例会では新会員三名の自己紹介があり、新しい仲間に出会う喜びがあった。

また、伊予史談会様より 越智通敏著『子規の夢』『俳誌「ホトトギス」と愛媛』

の二冊が希望者に配布された。会員は一足早いクリスマスプレゼントをいただき

帰路についた。🎄🎅  記録:田村七重



 令和2年11月例会(第934回)

      令和2年11月19日(木)午後1時半~午後3時半 於:正宗寺

      卓話「子規墓誌銘」について    本会常任理事 戸田政和氏

   講演「正宗寺」について  天龍山別格正宗寺住職 田中義雲師  

子規自身による墓誌銘から子規の一生をその作品に触れながら丁寧に再考。  写真 越智和彦常任理事
子規自身による墓誌銘から子規の一生をその作品に触れながら丁寧に再考。  写真 越智和彦常任理事

境内にある「子規堂」の経緯を柳原極堂の時代から現在までを講演。子規生誕からの歴史を踏まえ語る講演内容で心に沁みた。なくしてはならない重要な文化施設との認識を新たにした。  写真 田村七重
境内にある「子規堂」の経緯を柳原極堂の時代から現在までを講演。子規生誕からの歴史を踏まえ語る講演内容で心に沁みた。なくしてはならない重要な文化施設との認識を新たにした。  写真 田村七重
会場の様子    写真 越智和彦常任理事
会場の様子    写真 越智和彦常任理事

第933回例会令和2年10月19日(月) 13:30-15:30  於:正宗寺

卓話:「子規漢詩 明治29年「漢詩稿」抹消詩について」

             本会常任理事 嶌川 武彦氏

講演:「近代俳句史と河東碧梧桐」

             本会相談役  平岡 英氏


明治29年の子規の抹消した漢詩について実に興味深い考察がなされた。抹消詩は、漱石から「余之を碌堂に聞けり・・」とある届いた書簡への返事。その書簡はまだ同定されておらず、話者は様々な資料を精査し、一つの可能性を示唆した。  写真:高村昌雄理事
明治29年の子規の抹消した漢詩について実に興味深い考察がなされた。抹消詩は、漱石から「余之を碌堂に聞けり・・」とある届いた書簡への返事。その書簡はまだ同定されておらず、話者は様々な資料を精査し、一つの可能性を示唆した。  写真:高村昌雄理事

河東碧梧桐の出自から子規から学んだ俳句の探究・模索の人生を具に講演する 平岡相談役           写真:高岡昌雄理事
河東碧梧桐の出自から子規から学んだ俳句の探究・模索の人生を具に講演する 平岡相談役           写真:高岡昌雄理事

 碧梧桐の子規を通して学んだ俳句とその研究・新しい俳句への模索の日々を具体的に講演。

25頁に亘る資料を基に、子規の写生にかわり新傾向俳句を唱えた碧梧桐の作句・人生・功績を分かりやすく詳述。昨年5月例会での「近代俳句史と高浜虚子」と合わせて、会員一同大いに学ばせていただいた。また今回、碧梧桐・虚子対照年表も配布された。

   子規は、この二人の同郷の弟子をそれぞれの伸び行くままに、育てたのだ  との感慨を持った。                                                                                        田村七重記


会場の様子             写真:田村七重
会場の様子             写真:田村七重

第119回子規忌  令和2年9月19日(水)  於:天龍山別格正宗寺

松山子規会第932回例会に先立ち、午後一時半より子規忌並びに物故会員法要が執り行われた。

 墓前祭では正宗寺田中義雲師による読経と献詠の披講が行われた。

 本堂での本法要では、烏谷照雄会長の開会挨拶、正岡明 子規会顧問の挨拶、愛媛県 

 商工会議所連合会会頭・伊予銀行会長の大塚岩男氏挨拶、愛媛県知事と松山市長の

 メッセージ(代読)、愛媛銀行頭取西川義教氏メッセージ(同銀行友近敏明部長代読)、

 絶筆三句朗詠(武田峰松氏)、会員献詠披講、物故会員の紹介等があった。

 コロナの影響下、本堂での法要入場者数は制限された。          田村七重記 

本堂に第119回子規忌法要を知らせる文字が掲げられている     写真 越智和彦常任理事
本堂に第119回子規忌法要を知らせる文字が掲げられている     写真 越智和彦常任理事
墓前には浅海会員丹精の糸瓜などまた鶏頭の花も供えられた   写真:高村昌雄理事
墓前には浅海会員丹精の糸瓜などまた鶏頭の花も供えられた   写真:高村昌雄理事
子規忌法要開催挨拶のなかで、死の三日前に子規が虚子に口述筆記をさせた随筆「九月十四日の朝」を読むたびに子規の深く静謐な思いとともに、私達の傍に子規は今も生きていると感じていると述べる烏谷子規会会長。 写真 越智和彦常任理事
子規忌法要開催挨拶のなかで、死の三日前に子規が虚子に口述筆記をさせた随筆「九月十四日の朝」を読むたびに子規の深く静謐な思いとともに、私達の傍に子規は今も生きていると感じていると述べる烏谷子規会会長。 写真 越智和彦常任理事

松山子規会第932回例会  令和2年9月19日 15:00~

 子規忌 記念講演    於:松山市市民会館小ホール

「正岡子規と陸羯南ー俳句に関すること」

       陸羯南会 会長   舘田 勝弘氏

羯南(俳号蕉隠)の俳句が新聞『日本』に17句掲載され子規の俳句革新運動に深く関わっていたことなどを、緻密な調査研究から順を追って講演された。 ジャーナリストとしての子規の生きざまを考えるとき、羯南の存在の大きさを再確認する貴重な時間であった。 講演中の舘田会長  写真:高村昌雄理事
羯南(俳号蕉隠)の俳句が新聞『日本』に17句掲載され子規の俳句革新運動に深く関わっていたことなどを、緻密な調査研究から順を追って講演された。 ジャーナリストとしての子規の生きざまを考えるとき、羯南の存在の大きさを再確認する貴重な時間であった。 講演中の舘田会長  写真:高村昌雄理事
「陸羯南俳句草稿」俳句12句 弘前市立郷土文学館蔵
「陸羯南俳句草稿」俳句12句 弘前市立郷土文学館蔵
舘田会長講演会の様子 羯南・拓川あっての子規を想う     写真:高村昌雄理事
舘田会長講演会の様子 羯南・拓川あっての子規を想う     写真:高村昌雄理事

<8月例会>松山子規会第931回例会

日時:令和二年8月19日(水)午後1時30分~

場所:愛媛新聞 愛媛電算ビル4階会議室

参加者:32名

卓話:①世界に広がる俳句 子規に感謝」乃万 美奈子氏(会員)

      「和田克司元副会長の子規研究」渡部 平人氏(副会長)

講演:『蕪村句集輪講 冬之部』を読む 松浦 巻夫氏(常任理事)

子規たちよる蕪村俳句の論評と萩原朔太郎の論評を検証 楽しい講演内容であった。  写真:佐伯健氏
子規たちよる蕪村俳句の論評と萩原朔太郎の論評を検証 楽しい講演内容であった。  写真:佐伯健氏
卓話② 熱く語る渡部平人副会長  写真:佐伯健氏
卓話② 熱く語る渡部平人副会長  写真:佐伯健氏
卓話① 国際俳句協会冊子を紹介 乃万美奈子会員  写真:田村七重
卓話① 国際俳句協会冊子を紹介 乃万美奈子会員  写真:田村七重
ソーシァルディスタンスもOK 写真:佐伯健氏
ソーシァルディスタンスもOK 写真:佐伯健氏

コロナ対策です、皆様の体温チェック 写真:佐伯健氏
コロナ対策です、皆様の体温チェック 写真:佐伯健氏

第925回例会

令和2年2月19日(水) 13:30-15:30  愛媛新聞社1Fホール  参加者45名

卓話:「子規の母と二弦琴」本会常任理事  福井みどり氏

講演:「柳原極堂と子規」子規記念博物館学芸員 西松陽介氏

 

子規の 木星や母が教ふる二弦琴 M29 の俳句を手掛かりにして, 母八重の生きざまに一つの新しい考察を試みた。   卓話をする福井みどり常任理事    写真:高村昌雄理事
子規の 木星や母が教ふる二弦琴 M29 の俳句を手掛かりにして, 母八重の生きざまに一つの新しい考察を試みた。   卓話をする福井みどり常任理事    写真:高村昌雄理事
俳誌『鶏頭』での極堂の子規顕彰活動との副題で講演いただいた。子規記念博物館 学芸員 西松陽介氏  写真:高村昌雄理事
俳誌『鶏頭』での極堂の子規顕彰活動との副題で講演いただいた。子規記念博物館 学芸員 西松陽介氏  写真:高村昌雄理事
極堂筆「日記」昭和七年を示し、極堂の子規に関する情報収集の軌跡と「子規と其の郷里松山」の執筆活動について講演する西松氏                 写真:高村昌雄理事
極堂筆「日記」昭和七年を示し、極堂の子規に関する情報収集の軌跡と「子規と其の郷里松山」の執筆活動について講演する西松氏                 写真:高村昌雄理事


松山子規会・第九百二十四回例会並びに新年懇親会がに開かれました。

以下に例会及び新年懇親会の次第をご紹介します。

 松山子規会 第九百二十四回例会並びに

                  新年懇親会

 日 時 令和 二年 一月十九日(日)十一時~十四時

 場 所 松山市南堀端町 東京第一ホテル松山 十一

    式次第

    例 会 ~~~~~~  会  髙木貞雄    常任理事

   .年頭挨拶          烏谷照雄  会  長

   二.卓話「漱石の『子規に送りたる句稿』」

                  渡部平人  副会長

   三.詩吟「後夜聞佛法僧鳥」   武田峰松  会  員

   四.漢詩「庚子新年子規会書感」 

                      嶌川武彦  常任理事

   .三味線「梅にも春・伊予節」 福井みどり 常任理事

   .居合演武  (夢想神伝流)   森 愼吾  常任理事 

     懇親会 ~ 司 会  嶌川武彦   常任理事

   一.乾  杯          井手康夫  相談役

   .会員 新年メッセージ紹介

   .閉会挨拶          今村 威  相談役

                        以上

左:烏谷会長による年頭挨拶<日本各地の子規研究者や研究組織との連携を深めともに学びたい>      右 卓話「漱石の『子規に送りたる句稿』と題し子規と漱石との俳句を通してのやり取りから見えてくる子規像を語った 渡部平人副会長       写真 高村昌雄会員 
左:烏谷会長による年頭挨拶<日本各地の子規研究者や研究組織との連携を深めともに学びたい>      右 卓話「漱石の『子規に送りたる句稿』と題し子規と漱石との俳句を通してのやり取りから見えてくる子規像を語った 渡部平人副会長       写真 高村昌雄会員 
左から 漢詩「庚子新年子規会書感」 嶌川武彦 常任理事  居合演武(夢想神伝流)   森 愼吾常任理事   三味線「梅にも春・伊予節」 福井みどり 常任理事      写真 高村昌雄会員
左から 漢詩「庚子新年子規会書感」 嶌川武彦 常任理事  居合演武(夢想神伝流)   森 愼吾常任理事   三味線「梅にも春・伊予節」 福井みどり 常任理事      写真 高村昌雄会員
ご来賓の方々から暖かいご挨拶をいただきました。  写真 高村昌雄会員
ご来賓の方々から暖かいご挨拶をいただきました。  写真 高村昌雄会員


第923回例会  

令和元年12月19日(火)1:30~330 愛媛新聞社ホール 参加者 49名

 

卓話「幻の延齢館 本会常任理事  戸嶋 健二氏

講演「ある日の子規庵茶事」

 子規、茶の道への見識 本会 会長 烏谷 照雄氏

高浜周辺のドローン画像を使い、延齢館の位置を説明する戸嶋氏。        写真;田村七重
高浜周辺のドローン画像を使い、延齢館の位置を説明する戸嶋氏。        写真;田村七重
貴重な資料を示しながら延齢館建設と取り壊しまでの経緯を述べた。子規と漱石が訪れたことにも触れ豊富な内容であった。
貴重な資料を示しながら延齢館建設と取り壊しまでの経緯を述べた。子規と漱石が訪れたことにも触れ豊富な内容であった。
「ある日の子規庵茶事」と題し、子規の玄祖父の正岡一甫~1892没の資料から子規と茶道の関連を述べた。子規の『筆任勢』等の資料から子規の茶道の知見を探り、伊東左千夫との交友が子規の見識を深めたことなどを考察。明治34年2月28日の子規庵でのお茶事を、子規の『墨汁一滴』等から検証された。      写真 田村七重
「ある日の子規庵茶事」と題し、子規の玄祖父の正岡一甫~1892没の資料から子規と茶道の関連を述べた。子規の『筆任勢』等の資料から子規の茶道の知見を探り、伊東左千夫との交友が子規の見識を深めたことなどを考察。明治34年2月28日の子規庵でのお茶事を、子規の『墨汁一滴』等から検証された。      写真 田村七重
例会会場の様子 
例会会場の様子 


第922回例会   令和元年11月19日(火) 1:30~330                          正宗寺本堂 参加43名

卓話 「砂土手再考」 本会常任理事 佐伯 健氏

講演 『ホトトギス』の役割分担ー東遷戦後における虚子の活動を中心にー

           虚子記念文学館 学芸員 小林祐代氏

砂土手の造られた経緯から、やがて姿を消しつつある李勇を丁寧に探られ、また丹念に踏査された結果を発表する佐伯常任理事 写真:田村七重
砂土手の造られた経緯から、やがて姿を消しつつある李勇を丁寧に探られ、また丹念に踏査された結果を発表する佐伯常任理事 写真:田村七重
明治30年1月極堂創刊の『ほととぎす』は翌年10月には東京で虚子が発行編集人となり創刊される。そこに至る22か月を事細かに検証、意義を説いた講演であった。子規・虚子・碧梧桐等の関わりはもとより虚子の兄弟らの支援が浮き彫りにされ印象的であった。     資料を説明する小林虚子記念文学館学芸員 写真:田村七重
明治30年1月極堂創刊の『ほととぎす』は翌年10月には東京で虚子が発行編集人となり創刊される。そこに至る22か月を事細かに検証、意義を説いた講演であった。子規・虚子・碧梧桐等の関わりはもとより虚子の兄弟らの支援が浮き彫りにされ印象的であった。     資料を説明する小林虚子記念文学館学芸員 写真:田村七重